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2015年6月23日火曜日

何が分かれ目?

前回は最強の横綱についての考え方をお話致しました。
横綱は相撲界では最高位番付であり、ほんのひと握りの力士しか関取(十両以上)になれない、そしてまたその中でほんのひとつまみの人しか横綱にはなれないことを考えると、やっぱりどの横綱も「すごかった」と言わざるを得ません。

 さて多くの力士が将来の横綱を目指して各部屋へ入門します。稽古が厳しいゆえに挫折し辞めていく者、厳しい稽古に耐えて番付を上げていく者、その中で十両にとどまる者、幕内に上がり少し脚光を浴び出す者も出てきます。この頃になるとテレビにも映りますし、実際の土俵での本人の相撲を観戦する機会がぐっと増えてきます。長年相撲を見ていますと、なんとなくその力士が将来どの辺の番付まで上がるのか?予想できます。
もちろん100%当たるわけではありませんが、かなりの確率で横綱・大関に上がる人はわかります。「それくらいなら素人でもわかる」と言ってしまえばそれまでですが、前回話をしました白鵬関は新入幕してきた時に将来の大横綱(但しこんなとてつもない記録を残すとは思いませんでしたが)を予想していました。

 そろそろ本題ですが、私が将来の大横綱を予想して実はなれなかった人がいます。大横綱の予想ですから、私の中で単に横綱になる確率は99%以上(100%かな?)というものです。当時体も大きく均整が取れ、しかもなかなか好男子だったので人気もありました。北海道出身で肌が白く「北海の白熊」というニックネームがついていました。そう、ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、大関・北天佑です。彼もまた新入幕した頃に横綱になると予想していました。グングン番付が上がり大関まで昇進、横綱は時間の問題かと思われたのですが、結局最後まで横綱にはなれませんでした。現役終盤は怪我、病気を患い少し惨めな引退でした。

 なぜ彼は横綱になれなかったのでしょうか? その真相ははっきり言ってわかりません。また理由も一つや二つではないのかもしれません。体格にも恵まれ、足腰や腕力も強く、相撲勘も決してない訳ではなかったのにどうしてなのでしょう? 

 私が見ていてたった一つだけ、どんな関取にもあって北天佑になかったものがあります。それは「簡単に勝負を諦めない」というものです。土俵を割るまで、或いは体や顔が地に着くまで勝負を諦めないことを多くの関取は実践しています。入門した時から厳しく親方から教わるのです。しかし残念ながら北天佑は諦めが早かった(と私には見えていました)のです。つまり負けるときはあっさり土俵を割る、土俵に転がる。簡単に負けてしまうのです。軍配があがるまで勝負はわからない、だから最後まで最善を尽くせ! そうすると結果が変わることもあるのです。そういう横綱の典型がお兄ちゃんこと若乃花関です。「負けた」と思った相撲から何番も逆転勝ちしていました。そのおかげで彼は横綱になりました。そうです、北天佑も、もしかしたら横綱になっていたかもしれないのです。

是非皆さんもこれからいくら大変なことがあっても、どんなに苦しくても簡単に諦めない人になってくださいね! 結果が大きく変わることがあるかもしれませんよ。


それにしても北天佑の土俵入りが見たかったですねえ。。。


ジェノスグループ株式会社
代表取締役会長  伊藤 哲也

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