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2015年5月26日火曜日

伊藤会長に続く相撲話

 大相撲5月場所は、関脇 照ノ富士優勝という大波乱の中、幕を閉じました。13日目を終えて、単独トップを走る白鳳が絶対的有利であり、判官贔屓(ほうがんびいき?or はんがんびいき??正解はどちらの読みも可)の私は、深夜に放送されるダイジェスト版で、活躍の場面が少ない日本人力士の、稀勢の里、遠藤、渋いとこで安美錦などに、空しい声援を送る毎夜でした。ところが週末、まさかの展開で白鵬が千秋楽を前に二連敗するなど、筋書きの無いドラマを堪能しました。伊藤会長が10日程前、最強横綱として第18代横綱の大鵬関について書いておられ、最強の横綱に要求されるのは、ただ強いだけでなく、人としての品格こそ重要とありました。柳の下にドジョウはいないことはわかっていますが、私も少し相撲についてつぶやいてみます。
 その昔、角聖と呼ばれた第19代横綱の 常陸山。名前からも解りますが、水戸の士族の出身で、武士道を相撲に取り入れた人物です。曰く「真の相撲道とは、単に勝敗にこだわるのでは無く、徳を重んじ『心・技・体』の充実に努めなければならない」というものでした。
その相撲道を更に高めたのが69連勝を打ち立て“不出の横綱”と呼ばれた、第35代横綱 双葉山です。その彼が連勝記録を止められた時、周りの人には一言も弁明しませんでした。
しかし夜中になってから、古くからの友人に、こらえきれず漏らしたのが『我、未だ木鶏たりえず』という言葉だったそうです。
 昔、中国に闘鶏を育てる名人がおりました。ある日の事、王は自分が育てた鶏を、名人の鶏と戦わせてみたいと思い、尋ねました。しかし名人は「王の鶏は、カラ威張りばかりで、自分の力を過信しております」と断ります。更に数日のち、再び聞きますが断られます。以後何度尋ねても、そのたびに他の鶏を見て、いきり立つとか、目を怒らして己の強さを誇示するから、など理由を付けては断り続けます。いい加減にあきらめかけた頃、名人は次の様に申し上げ戦いに応じました。“木鶏の如き「泰然自若」になりましたかな”と。
 名人は王に向かい「闘鶏が最高の状態に仕上がれば、もう他の鶏の鳴き声など聞いても相手にせず、まるで木を彫りこんだ木鶏の様に、泰然自若としておるものです。これこそ『徳』が充実した証しであり、天下無敵の姿なのです。」と。

道を究めた人は、もはや他人に惑わされる事など無く、居るだけで周囲の模範となるもので、自ら木鶏たらんと相撲道に精進した双葉山をもってしても連勝記録が止まった時、思わずつぶやいた“我、未だ木鶏たりえず”。
若さとは、かようにも美しく輝きて、無限の可能性を持つ尊きものなり。


株式会社宇佐見商店
代表取締役  宇佐見 透

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