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2015年2月9日月曜日

英語なんて、ちょろいぜ!


超簡単! 英会話不要! 外国人と対等にやり合うコツ(1)


「国際化」とか「グローバル化」というキーワードが出て来ると、次に来るのは、「英語」という流れが多いですね。
 やれ、日本人は英語が下手だとか、しゃべれるように教育を改めるとか。果ては、「楽天」さんのように、まったく内需型の企業でありながら社内公用語を英語にしてしまう会社も出てきています。
 それに備えて、小学校から英語の授業を導入するとか、中学の英語の授業は全部英語で行うとか、ナンセンスな方向へ世の中が進んでいます。
 
 いったいこうした動きの目的は何なのでしょうか?
 

 外国人と対等にやり合うということが目的なら、英語をマスターする前にやることがあります。
 それは、自分の意見をしっかりと主張するということです。それも、「常に」です。

 「ハイ、では君の意見は?」と言われるまで黙って聞いているというのでは、相手にされません。聞かれる前に、とにかく自分からしゃべることです。英語ではなく、日本語で、日本人に対して、です。

 どうですか? 簡単でしょ? 

 でも、これこそが、外国人と対等にやり合う、唯一にして最大のコツなのです。
 本当です。


 有名大学を出て、超一流企業に就職し、そこで社内選抜を勝ち抜いて、30歳くらいで米国一流大学の大学院に留学した日本人の実際にあった体験談です。授業中に、教授の講義やほかの学生の発言などを聞いて、その授業が終りました。そうしたら、数名いた日本人学生に向ってその教授から「君たちはもう次から出てこないでいいから」と告げられました。黙って聞いているだけでは、授業に対する貢献度がゼロであり、他の学生に貢献できない者は居る必要がないということでした。
 これは一見すると、その有名大学院だからこそ厳しいのだろうと思ってしまいがちですが、そうではありません。

 このように、お互いに意見を交換し合って、相手の真意を確かめ合うことが仲間として何よりも重要であるということは、日本以外の世の中では常識であるのです。日本では、とかく和を乱さないとか、寡黙で従うタイプが好まれますが、ひとたび国外に出ればそれは逆効果であり、「黙って仲間の知恵を盗み取るずるい存在」という見方をされるのです。
 したがって、今後日本人がもっと「グローバル化」に対応したいというのであれば、今やるべきなのは英会話教育の充実ではありません。英語以前に、日本語の段階であっても、自分の意見を普段からきっちりと表現できる心構えをもっておくことが重要です。

 ここで大至急改めるべきなのは、自由な発言を許さない我国の学校における授業のやり方です。小学校から中学・高校・大学と全ての段階に該当します。
 日本の学校教育の現場では、生徒が何か聞きたいと思っても、質問は先生が「質問はありますか?」というまでしてはいけない。これが我国の学校における不文律というかキマリになっています。
 おとなしく黙って先生の話を聞いている子供が良い子であって、しゃべる子供は問題児とされています。
 授業は教師が一方的に進め、聴衆である子供たちは静かに聴くことに徹する、という姿が理想の教室として明治開国以来150年にわたって、いや、寺子屋時代から計算すると300年以上の歴史があるのかもしれません。

 外国は、こうではありません。
 教師が何か話すと、子供がすぐに反応します。質問などという立派なものではなく、単に「え?どうして?」「それって、○○じゃないの?」という、ごく自然な疑問です。これを言葉で発する。それに対して教師が答えていく。
 日本だと、そんな子供としての自然な疑問を言葉にしようものなら、すかさず先生から「静かにしなさい!」と怒られます。度重なると、学期末の成績表に「授業中におしゃべりが多く、集中力が足りません」などと書かれてしまいます。
 こうして、日本では、「寡黙な人間=しゃべれない人間」が大量生産されてきました。(いまも続々と量産されています)
 教師と生徒の相互が常に意思疎通を交しながら、何がわかって何がわかっていないのか、どう伝えれば伝わって、どう話すと伝わりにくいのか、ということが教える側にも即座に返ってくるような、双方向な授業は封印され、生徒はわからないことはわからないままでその授業が終り、教師にとっても生徒が理解できているかどうかに関係なく淡々としゃべって、「質問は?」と言って出てきたことに短く答えておしまいというセレモニーの繰り返しで自己満足しています。(これは生徒が授業とは全く無関係に私語をしまくるという、いわゆる「荒れた教室」の無法地帯を理想と言っているのではありません。)
 ひるがえって、(教員の権威が強そうな隣国韓国の授業がどういうものなのか存じませんが)少なくとも西欧や中国においては、生徒は自分が疑問に感じたら即座に質問します。教師が話している最中であっても一切お構いなしです。これは小学生から大学院生まで、年齢を問わず共通、また、国籍や人種を問わず共通です。

 自分が大学生のとき、外国帰りの教授が、講義を始めて20分位したときに、「こんなんに長い時間1人でしゃべり続けることは外国の大学ではありえない。何かしゃべるとすぐに質問が飛んでくる」と言っていたのを思い出しました。
 その後自分がアメリカとイギリスに留学したときに、それを実感しました。何しろ、すぐに声を出す。教師が質問は?と言わないうちにです。「Any questions?」と教師が問うことも、無論ありますが、生徒はそこまで我慢できません。手なんか挙げずに、勝手に質問を始めます。教師もそれをとがめずに、真正面から返答します。同じような疑問を持っている子供には、非常に参考になるわけです。
 そしてまた、その「質問」が実に馬鹿馬鹿しい内容です。そんなことも知らないのかよとか、それって先週みっちりやったことだろ、とか、突っ込みどころ満載の愚問を連発します。でも、まったくお構いなしです、聞くほうも答えるほうも。

 日本の常識では、授業中に手を挙げて、質問をする子供というのは、比較的優等生で勉強の出来る子供が多いようです。なので、質問の内容も授業から1歩進んだ内容であったり、先生が気づかなかったポイントを指摘したりという内容があって、「良い質問ですね」などと褒められたりする。だから、余計に普通の単なる疑問点を質問しづらくなっていくのです。

 さあ、もうわかりましたね?
 外国人とやり合うことができる自分を作るコツは、英会話ではなく、日本語会話力を向上させることです。普段から、打合せでも会議でも、仲間内の雑談でも、とにかく自分を主張するクセをつけましょう。

 そして、相手が外国人という場面に遭遇しても構いません。まづ日本語で自分を主張することです。

 初対面の外国人に出会ったら、オフビジネスであっても商談であっても、私が心がけていることがあります。それは、まづ日本語を使うということです。
 簡単な挨拶で構いません。「こんにちは」とか「初めまして」とか「お元気ですか?」とか何でもいいですから、とにかく先制パンチをお見舞いしましょう。日本語です!

 要諦は、「相手よりも先にしゃべる始める」ことです。第一声は必ず、自分から発する。しかも、気後れしないように、母国語を使うのです。我々なら日本語です。
 こうすると、相手は虚を突かれて、だいたいは、キョトン?とした顔になります。それでも構わず日本語で挨拶を続けます。そうすると、相手は訪問先の言葉である日本語がわからないことに後ろめたさを感じます。
 これで、あなたは優位に立ったのです!
 これで我が軍の形勢は有利になって試合が始まったということです。
 この「日本語で先制パンチ」は、相手に対する効果も去ることながら、自分の気持ちを落ち着かせる意味で非常に大きな威力を発揮します。
 もし、外国人に道を聞かれるようなことがあったら、是非使ってみてください。私も何度もこの方法「日本語の通じない相手は日本語で先制攻撃」を使って成功しています。
(次回は、「そうは言っても英語をしゃべれるようになる必要はないのか?」についてお伝えします。)




2015/2/9
日本ジェノス株式会社
代表取締役 上野善久


【写真】:取引先のワイン蔵元オーナーであるロックフォール伯爵をお迎えして


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