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2014年12月29日月曜日

学生時代は、やりたいことをやろう



 数年前のことになりますが、「ニュートリノの発見」でノーベル物理学賞を受賞された小柴名誉教授のお話を聞く機会がありました。講演後の質疑応答で、私は手を挙げて質問しました。(私は、大勢の聴衆の前で質問することが多いです。そういうときには、意図して個人的な疑問点よりも、多くの人が知りたいようなことを探します。)


自分の子供にノーベル賞を取らせるには、親として何をしたら良いでしょうか? 
この質問は、同じことを考えていた聴衆もいたようで、会場から予想外の拍手が出ました。
小柴先生の答えはこうです。やりたいことをやらせなさい。親があれこれを干渉するのではなく、子供が自分のやりたいことをやる、それが一番です。

意外な返答でした。やりたいことをやってて、ノーベル賞なんか取れるのかな?と、その時は思いました。しかし、よく考えてみれば、我々凡人が「これをやれ」などと言ったところで、そんな「既知」の世界のことを凡人から言われて渋々やるような子供だったら、最初から人類の「未知」を発見したりできるわけはないですよね? いま改めて思うと、ノーベル賞学者のお答えは、流石我々凡人の領域を超越しています。

さてその子供も、平凡に成長して普通の大学生になりました。
いま、家庭教師をやっています。
そのことをある人に話したら、「家庭教師は一番、就職に不利なバイトですよ」と言われました。その人は、親身なアドバイスでおっしゃってくれたことはよくわかりました。しかし、「就職に有利な/不利な・・・」という発想が残念です。
これを言い始めると、「就職に有利なゼミ」「就職に有利な選択科目」「就職に有利なサークル」「就職に有利なボランティア活動」「就職に有利な旅行」「就職に有利な趣味」「就職に有利な食べ物」なんてものまで出て来てしまいます。

いったい、学生時代は就職のためだけにあるのでしょうか?

良い就職先をみつけてそこに職を得るというのも、大学生活で一大イベントであることは事実です。しかし、すべてが就職起点で発想し、行動していくという学生生活で本当に良いのでしょうか?

人生の計画を立てて、その自分なりの長期ビジョンに従って日々を計画的に生きていくということができればそれは素晴らしいと思います。他方で、たった一度の学生生活を、自己の興味関心、趣味趣向で送ってみるという豪快な生き方に私は魅力を感じます。

「学生時代に力を入れたこと」なんて、所詮は自分の好きなことをやっていました、で良いではないですか? もっと極論してしまえば、「学生時代に特に力を入れたことはありません。学業も、サークル活動も、アルバイトも、特にこれという成果はありませんでした。でも、これが自分らしいと思います」ということでいいではないですか?

それよりも、面接していて気になるのは、「就活中の学生は一般的にこうあるべきだから」という意識が過度に出ていて、非常に画一的で個性のない人と話をするときです。

学生時代にこれとこれをやりました。と言われるのですが、そこに表面的なフレーバーを感じてしまいます。就活対策本を熟読して、ばっちりと構成しました、というさっき貼ったばかりの糊の匂いが漂ってくるような人がいます。
そこまで無理に造らなくても、「学生時代は遊んでました。その遊び方も中途半端でした。何をやりきったということがないのが反省点です。なので、社会人になったら、1つでもいいから結果を残したいと思います」とかなんとか、そういう自然体な学生さんがいてもいいように思うのですが、なかなかお目に掛れません。

当社では、例年年明けごろに初めて就職活動をしますという学生さんがやってきます。そういう人は、クラブ活動だったり、自分の本当に打ち込める活動を優先していたために、出遅れて就活に参戦してくるわけです。しかし、過去の事例で言えば、そのような人たちは、自分の領域というか自己の考えをしっかりと持っており、事実入社後の成長も早いタイプが多いです。

就活ありきでは、本当につまらない学生生活になってしまいます。自分のやりたいことを思う存分やってみてはいかがでしょうか?
2014/12/29
日本ジェノス株式会社
代表取締役 上野善久 

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